日本論語研究会とは
年賀状に秘めた思い
日本論語研究会はいかにして生まれ、現在に至っているのか。
当時の田村の気持ちを綴った記録があります。
論語の時代(2003年1月19日)(PDF:171KB)
その2年後。
安岡正篤師の「萬燈行」にも通じる思いは、やがて行動に変わります。
始まりは「よしやろう」の一言から
――どうして日本論語研究会を始めたかということなんですが、実は幹事をやっている村木(春彦)さんと
一緒に、台湾の儒学者の朱(伯昌)先生と知り合って、論語を最初から順番に勉強したのがきっかけです。
(中略)
『論語』には、いいことがいっぱい書いてあります。
ただこの『論語』を学べば学ぶほど行動しないではいられない、という思いが強くなるんですね。
言行不一致っていうのは駄目なのです。「言ったことはやりなさい」ということなんです。
それが、『論語』の理解なんです。だから「巧言令色、鮮(すくな)し仁」という言葉があります。
「余りホラを吹きなさんな」、「やれないことは言うな」、「言ったことはきちんと守る」と。
だから『論語』を学ぶうちに「何か行動を起さなければいけないだろう」という気持ちになった。
それで日本論語研究会を村木さんと二人で「よしやろう」と決めて始めたんです。――
代表幹事・田村重信
――ところで、私が論語を学ぶきっかけとなったのは、今から6年ほど前である。
日本論語研究会代表幹事である田村重信氏から誘われ、台湾の儒学会会長である朱伯昌先生から論語を
教わり、その後、「口で言うだけではなく、行動を起こそう」との思いで、田村氏と日本論語研究会を発足させた。
(中略)
私は、一人でも多くの日本人が、特に若者が論語を学ぶ、そして、明日の日本への憂いを払拭し、
再び日本が尊敬と期待の眼差しで見られるような国になることを心から願っている。――
幹事/代表世話人・村木春彦
(いずれも内外出版「続・人間の品格」より抜粋)
2005年1月、東京都北区の赤羽文化センターで小さな勉強会が発足しました。
雪が降る中、田村と村木の呼びかけで始まった初めての回には30名ほどが参加。
その中には当会顧問の小林節先生(慶應義塾大学教授・弁護士)もおられ、
「今度から慶應でやろう」との発案から第2回目からは慶應に会場を移して現在に至ります。
「日本論語研究会」へのご案内
以下、会の初心でもある第1回の開催案内を転載します。
趣旨に賛同される方は是非ご参加いただけると幸いです。
平成16年12月1日
「日本論語研究会」へのご案内
最近の日本の現状は、経済が豊かになった半面、オレオレ詐欺や日本を代表する
企業の不正、国民から尊敬されない政治家・官僚、自殺の増大などといった問題が
あります。
これらに共通するのは、倫理・道徳の欠如であると思います。
戦後の日本は、経済・物質的な豊かさの追求には熱心でしたが、精神的な豊かさの
追求が疎かであったような気がします。
世の中は個人主義(利己主義)が横行し、不平や不満が渦巻いているのは、家庭や
学校で、道徳・修身教育が行われなくなってきた事が原因であると思います。
これに対し、「学校で道徳をもっと教えるべきだ」「国がもっと熱心に行うべきだ」と
いってみても仕方ありません。
孔子は「言うことよりも行うこと」すなわち実践を大事にしていました。
かつて日本では、孔子さまと言われた中江藤樹(注)は、「すべての人間には『明徳』と
いうこの上ない美しい心を持って生まれてきたのであるから、それを磨き、日常生活の
中で発揮することが人間としての最高の生き方だ」といってこうした考えを武士や庶民に
広めて行きました。
今日、このことに気付いた私たち「一人ひとり」が、「人としての心とその生き方」(道徳・
倫理)を学び実践していくことこそが大切と思い、下記により第1回の研究会を開催
いたします。
今後は、参加者の皆様と相談しながら運営していきたいと考えています。
是非ともご参加下さい。
(注)中江藤樹(江戸初期の儒学者。わが国陽明学派の祖。近江の人。初め朱子学を
修め、伊予の大洲藩に仕え、のち故郷に帰り、王陽明の致良知説を唱道。近江聖人と
呼ばれた。門人に熊沢蕃山らがいる。)
記
1、日 時 平成17年1月15日(土) 18時~19時30分
2、場 所 北区立赤羽文化センター3F、第2学習室A(JR赤羽駅西口パルロード2)
3、講 師 田村重信(慶應大学大学院講師)「テーマ・日本人と論語」(40分)
朱 白昌(儒学会会長・台湾)「テーマ・修身、斉家、治国、平天下」(45分)
4、参加費 300円(家族は2人以上、500円)