安岡正泰
「父・安岡正篤氏と『論語』」
「人間学とは何か」
――では人間学とは何かということですが、父は「経世瑣言(けいせいさげん)」という本を出しております。
その中に「人物学」という章がありまして、人物学を修めるためには二つの秘訣があるとして、まず、古代の先哲、優れた人物の生きざまを学ぶことの大切さを説いております。
つまり、抽象的な思想、理論よりも、魂の入った先哲の本を読むことが大切であると言っているわけです。
もう一つは、人生には関所があるということです。昔、江戸から大阪に行く時、いろんな関所を通らなければなりませんでした。人生にも関所があって、それを乗り越える。
途中で挫折せず、自分を律し、反省し、そういった関所を乗り越えなければならない。一つ一つの関所を乗り越えて人生が開かれていくわけです。
そういうことを『経世瑣言』で言っています。
私たちは四人兄弟で、姉、兄、そして妹がおりまして、上二人は亡くなってしまいましたが、いろんな方から「あなたは何歳から論語の素読を始めましたか」と聞かれます。
うちの父は非常に不思議な父でございまして、私は親から論語の素読を学んだことはございませんでした。
「そんな能力はない」と思われていたのかもしれませんが、物心付いた頃、父から渡されたのは、講談社から出ている少年向きの偉人伝で、リンカーンの伝記でした。孟子の言葉に「子を易えて教う」とあります。
「父親は余り子供を責めてはいけない」とあります。それはなぜか。「ああしろ、こうしろ」と言うと、子供はだんだん反抗的になる。 そして親は益々激しく叱るようになる。すると子供も益々抵抗してくる。
挙句の果てに、「お父さんは偉そうに言うけれど、お父さんはどうなんだ」と言うようになる。だから責めてはいけないと。
したがって、自分の子供は人に預け、自分は人の子供を預かる。そして教える。「子を易(か)えて教う」です。父親は、そういうことを考えていた。
私は父が戦前に創りました「金鶏(きんけい)学院」の先生に論語の素読を学んだのです。ただし戦争中でありましたので、だんだんそういうことができなくなってしまったのですが、自分の子供は自分ではなく、他の先生に預けたというわけです。 しかし、父の背中を見て育ったものですから、自分が社会に出て、いろんな経験を踏む中で、「あの時、父が言っていたのはこういうことだったのか」と思うことがあります。「父の書いた本を読み返さなければいけない」と。――
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「父・安岡正篤氏と『論語』」(PDF:46KB)